【えせほし─似非星─ 】 kyo-ko

『 凪 海 』


「もう秋だなぁ」
 リビングの窓から外を眺めて、仙石がしみじみとつぶやいた。
 確かに家の周囲の木々はいつの間にか色づき始めていた。春は可憐な花を付けて楽しませてくれた桜の木も、今は赤い葉が鮮やかに揺れている。
 監視員の目が気になるので、あまりこちらの窓から外を見ない行は、言われて初めて気が付いた。

「……ああ、ホントだ」
「お前、いつもアトリエの方しか見ねえだろ。だから気付かないんだよ」
 その通りなので、行は黙ってうなずくしかない。アトリエの窓は海側だから、余計に季節感に乏しいのかもしれなかった。
「で、秋といったら何だ?」
「……さあ、いきなり言われても」

 行がいつも仙石に戸惑わされるのは、こんな時だ。きっと、その場のノリで適当に答えれば良いのだろうけれど、そんな器用なことが出来れば苦労はない。
 それでも以前ならば、その回答には情報不足だ。などとにべもないことを言っていただろうから、考えようとするだけ進歩したのだろうか。
 だが、もちろん仙石がその程度の答えで満足してくれるはずもなく。

「お前なぁ、とりあえず何か言えよ。具体的に思い付かなくても、スポーツの秋とか、食欲の秋とかあるだろ」
「じゃあ、芸術の秋」
「真似すんな」
「だって、あんたがそう言えって」
「それはさっきの話だ。今度はもうちょっと具体的なことが言えるだろうよ」

「……ええー?」
 行には、仙石がどうして断言出来るのか分からない。仙石の発想が突飛なのか、普通の人ならば当り前のことなのか、判断は付かないけれど。
 仕方がないので、行は頭を悩ませた。秋といって思い出すことを考えてみる。
 仙石が少しずつ焦れて来ているのを感じてはいたが、かなりの時間を掛けて、どうにか一個ひねり出した。


「秋といったら、馬」
「なんでだよ」
「天高く馬肥ゆる秋」
「あー、確かにそれもあるけどな。残念、ハズレだ」
 何故か、やたらと嬉しそうな仙石だ。行が珍しく会話に参加しているからだろうか。ピントが外れていることには変わりないが。
 せっかく考えた答えを否定されて、納得いかない行だったが、仙石はあっけらかんと言ってのけた。

「秋といったら、焼きイモだろ!」
「はぁ?」
「何だよ、まさかお前、焼きイモ知らないってんじゃないんだろうな」
「焼きイモくらい知ってるけど」
 どうして仙石は、それを秋の代表のように言うのか分からなった。むしろ秋といって一番に焼きイモなんて思い付く人間なんているのだろうか。せいぜい焼きイモ屋くらいだろう。

「あんたの発想はおかしい」
「どこがだよ。ほら、外を見てみろ。ああして葉っぱが散っているのを見れば、思い出すのは、たき火で焼きイモじゃねえか」
 自信満々の顔で、そう言われると、もしかしたらそうかも? という気分になってしまうが、ここで丸め込まれてはいけないことを、行は最近になって学習していた。

「そんな連想するのは、食い意地の張っているあんたくらいだろ」
「ま、そうかもしれねえな」
 仙石は苦笑を浮かべながら、あっさりと認める。自分でもちょっと無理があると思っていたのだろう。
 だが、ここであきらめないのが、仙石恒史という男だ。


「とにかく焼きイモやろうぜ」
「どこで」
「庭に決まってるだろ。家の中でたき火が出来るかよ」
 仙石は相変わらずの能天気な笑顔だが、行は呆れるばかりだ。
「こんな所でたき火なんかしたら、すぐに消防署に通報されるぞ」
 もしかしたら、その前に監視員に消火されるかもしれないが。

「あぁ、そういや、そうだったな。つまらない時代になっちまったぜ。俺が子供の時なんかよー」
 こうなると、オッサンの昔話は長くなる。行は慌てて仙石を遮った。
「それじゃ海岸でやれば良いんじゃないか?」
 行にしては、珍しく気の利いた提案だったけれど、仙石は深い溜め息を吐いて、どこか憐れんだような目で見つめる。

「分かってねえなぁ。海でたき火なんかしたら、楽しくなっちまうだろ。それじゃ風情が無ぇんだよ」
 行にしてみれば、楽しくなって何が悪い、と思うけれど、風情だとかワビサビだとか、仙石が言いだした時は黙っておくのが一番だ。そういった微妙で詩的な感覚に、自分が疎いことは分かっているのだから。
 だが、行にそういった感性が無い訳ではない。だとすれば、絵など描けないだろう。行の場合は、心で受け取ったものを、言葉にするのが苦手なだけだった。

 もちろん仙石もそのくらいは承知している。それでもしつこいくらいに言うのは、行に色々なことを知って欲しいという親心のようなものだ。
「だからよ、秋ってのは、もう夏も終わっちまったなぁ、という空しさとか寂しさとかな、そういうのを引っくるめた気分を味わう季節なんだよ。それが醍醐味ってもんだ」
 仙石の熱弁に、行はただうなずく。

「夏は青々としていた葉がすっかり枯れてカサカサするのを見つめながら、たき火の煙が目に染みたりしてよ。あぁ、秋だなぁと思う訳だ」
「……ふうん」
 行の素っ気ない反応に、仙石はムッとした表情になる。
「俺がこんなに言ってんのによ、お前って奴は」
「あんたの気持ちは分かるけど、ここでたき火は無理だから」
 仙石がそこまでたき火で焼きイモを焼きたいのならば、行としても叶えてやりたいけれど、無理なものは無理だ。


 すると仙石は、意外なことを言い出した。
「たき火なんて、どうでも良いんだよ」
「……え?」
「俺は秋を味わいたいだけなんだ。方法にはこだわっちゃいない」
 行はきょとんとする。それなら、先刻まで『たき火』にあんなにこだわって、熱弁していたのは、いったい何だというのか。

「だからお前は分かってねえってんだよ。俺は秋の雰囲気を味わえれば何でも良いんだ。そんなに焼きイモが食いたい訳じゃねえ」
「それじゃ、どうしたいんだよ」
 もうすっかり理解出来なくなって、行は少しふてくされながら尋ねた。
「うーん、そうだなぁ。海にでも行くか」
「あんたがさっきダメだって言ったんだろ!」
 ここまでかなり頑張ってきた行だったが、とうとう忍耐力も尽き果てた。もうこうなると、嫌がらせだとしか思えない。

 しかし、仙石は涼しい顔だ。
「海でたき火は駄目だけどな。もう夏も終わった海に行くのは、いかにも物悲しくて良いじゃねえか」
「意味不明」
 言葉が素っ気なくなっているのは、この会話に疲れたからだ。
 普通の人間はこんな会話も当り前なのだろうか。それとも仙石が特殊なのか。どちらにしても、行にとって高いハードルなのは確かだった。
 そんな行の態度に、さすがの仙石も反省したらしい。困ったように笑って、行の髪をくしゃりと掻き回した。

「悪かった。俺の説明不足だな。お前がこういうの苦手だって、分かってたのにな」
「もう良いよ」
 仙石の大きな手のひらに包み込まれていると、イライラしていた気持ちも収まってくる。何となくごまかされているようだが、あまり細かいことを気にしないのが、仙石と付き合っていくコツだ。

「それじゃ海に行くぞ」
「はいはい」
 行も今更反対する気なんて起こらない。それに庭で焼きイモを焼かれるよりはずっとマシだ。
 すっかりご機嫌になった仙石を、苦笑を浮かべて見つめながら、行は人間と付き合うって大変だなぁ、としみじみ思うのだった……。



 そして二人は海を前にして、無言でたたずんでいた。
 仙石が希望した通りの、誰もいない静かな海は、どこかくすんだ藍色に見える。波立たせる風もないのか、穏やかに凪いだ水面はまるで眠っているかのようだ。自分の役目はもう終わったのだとでも言わんばかりに。
「静かだな」
 不意に仙石がぼそりとつぶやいた。
 行は黙ってうなずく。声を発したら、目の前の大切なものが壊れてしまいそうな気がしたから。それが何かは分からなかったけれど。

 仙石も特に返事が欲しかったのではないらしく、行の答えを待つことなく話し始めた。
「海には、俺の全てがあるんだ。嬉しいことも楽しいことも、つらいことも悲しいことも、あらゆることを海の上で経験してきた。だから、こうして海を見ていると色々なことが思い出されて、何とも言えない気分になるんだよ」

 行にもその感覚は分かるような気がした。行が海の上にいたのは、ほんの短い期間だったけれど、あそこで過ごした時間は陸の上よりもずっと濃密だった。
 海の上では、誰もが裸になってしまう。心が剥き出しになるから、絆が深まるのだろうし、亀裂も大きくなるのだろう。

 仙石は真っ直ぐに海を見つめているから、行は隣で仙石を見つめた。
 目が合うと思うと、こんなに素直なまなざしを向けることは出来ないので、今だけの特別な時間だった。
 何かを思い出しているらしい仙石の表情は、それでもとても穏やかだ。
 つらいことや悲しいことがあった海でも、仙石にとっては大切な場所なのだろうし、今となってはセピア色の思い出になっているのかもしれない。

 ……まだ自分には、あんな顔は出来ない、と行は思う。
 かつての血と硝煙にまみれた日々は、今はまだ単なる『記憶』でしかない。
 それがいつの日か『思い出』なんて優しいものに変わる時が来るのだろうか。自分の中に存在する記憶が全て、穏やかな思い出に変わる日が来るのだろうか。
 それは夢物語にしか思えなかったけれど。

 それでも、今日こうして仙石と二人で海を眺めたことや、秋についての他愛もない話をしたことは、きっと『思い出』になるに違いなかった。
 行は仙石から視線を外して、目の前にたゆたう海を見つめる。
 いつしか日が暮れ始めてきたらしく、やわらかなオレンジ色の光が差して、波頭をきらきらと輝かせた。

「きれいだな……」
 行が思わずつぶやくと、傍らの仙石もまたそっと答える。
「ああ、そうだな……」
 会話はそれで終わった。ただそれだけで十分だった。
 そして二人は夕日が沈んでしまうまで、ずっと海を見つめ続けたのだった……。


               おわり

ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_ _)m

メインは後半部分なのですが、
どうしてこんなに焼きイモ話が長くなったのか(笑)。
あまりにもタイトルと合っていない導入部に、
もう笑うしかありません。ホントに。

それでもこういう他愛もない会話こそが、
平和の象徴であり、行が望んでいたことなので、
実は一番楽しんでいるのは行なんだよ。
と思って自分を慰めることにします。

でもきっと焼きイモのくだりは、
行じゃなくてもイライラしますよね。
仙石さん、理不尽すぎる。
私はこういう人は苦手だなぁ。
と、自分で書いておいて否定したり(苦笑)。

2009.09.23

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