【えせほし─似非星─ 】 kyo-ko

『  甘 露  』(2)


 光すら届かない深い海の底で、静かにたゆたう深海魚のような、ゆっくりとした時間が流れる。
 行の家のリビングには、テレビも無ければ時計も無い。この部屋の主の心を波立たせるような音を発するものは、一つとして置かれていなかった。
 遮音効果の高い壁や窓は、外界の音も届けはしないから、二人が黙ってしまうと、本当に音という音が存在しなくなる。

 そんな重苦しいほどの沈黙に、仙石が慣れるのには、かなりの時間を要したが、今となっては、この静けさが心地良い。
 二人がけの狭いソファで身体を触れ合っていると、行の心臓が刻む音や、吐息の揺らぎすら、耳に届きそうな気がする。
 自分の身体に寄りかかる行の重さを感じながら、仙石は飽きもせずに、行の髪を撫で続けた。少し伸びてきた黒髪がしなやかに指に絡まる感触を味わいつつ。

 そして、永遠とも思えるような夜を、ゆっくりと過ごしていくのが、最近の二人の日課でもあったのだけれど。


 今夜は、行の方から口を開いた。仙石に背を向けたまま。ぼんやりと天井を眺めたままで。
「……仙石さん」
「ん?」
 行の密かなささやきに、仙石も低い吐息のような声で応える。
 すると行は、ためらいがちに言葉を継いだ。
「オレたち、ずっとこうしていて……、良いのかな」

 行がこんな風に迷いを見せたり、弱音をこぼしたりするのは、近頃ではそれほど珍しいことではない。
 今が幸せであればあるほど、見通せない未来に不安を抱くのは、当然のことだろう。
 仙石自身も、『永遠』なんてものが無いことは知っている。ずっと続くと思っていた幸福でも、一瞬にして失ってしまう場合もあるということを。

 人の命が尽きるように、幸福にも寿命があるのかもしれない。この幸福が短命なのか、それとも長命なのかは、誰にも分からない。
 けれど、だからこそ失いたくないと思い、失わないように努力をするべきなのだろう。
 自分の手の中に確かに存在している幸福を噛みしめながら、仙石は行の言葉に応えた。


「そうだな……。俺たちがこうしていることは、人によっては間違っていると言うかもしれない。悪いことだと言われてしまうかもしれない」
 行は仙石と視線を合わせずに、どこか遠くを見つめるようなまなざしで、ただ無言でうなずいた。仙石は話を続ける。
「けどな、そんなの他人が決めることじゃねえんだ。俺はお前との関係を、誰にも恥じることのない誇れるものだと信じている。だからお前が嫌だと言わない限り、ずっと一緒にいるからな」

「仙石さん……」
 行は頭を巡らせて、ゆるりとこちらに顔を向ける。美しい黒い瞳が不安げに揺らめいていた。
 仙石の言葉を信じたい、けれど無邪気には信じられない、そんな風情だった。
 仙石は微笑みを浮かべる。

 そして、行の白い頬に手を添えて、触れるだけの口付けを落とした。
「これが……、証拠だよ」
 誓いのキス、とは言わなかったけれど、行にはちゃんと伝わったらしい。
 やがて行は、かすかに頬を染めて、ためらいがちに目を伏せながら、そっと吐息のようにつぶやいた。
「……もっと」
「ん?」
「…………もっと……、…キス……」

 普段の行らしからぬ甘いおねだりに、仙石の理性はあっさりと吹き飛ぶ。誓いのキスというにはかなりの激しさで行の唇を奪った。
 行のやわらかな唇がおずおずと開かれるのを待ちきれずに、舌を挿し込んで、口腔に侵入してゆく。歯の裏側をねぶるように舐めると、行の全身がびくんと震えた。


「ふ……っ、んぅ……」
 行の唇から切ない吐息がこぼれる。それでももちろん仙石は愛撫をゆるめない。
 しばらくの間、行は快楽に抗うかのように、仙石の服をぎゅっと握りしめているだけだったが、いつしか自分からも舌を伸ばして、仙石のキスに応えるようになっていた。

 甘くとろける蜜のような口付けを二人は続ける。
 仙石の舌先から注がれた唾液を、行が喉を鳴らして呑み込む。そんな微かな音でも仙石の耳にはちゃんと届く。妙なる調べのごとくに。
 そこで仙石はいたずらっぽくささやいた。
「美味いか?」
行はうっとりと閉じられていたまぶたを開いて、うわごとのようにつぶやく。

「……もっと」
 これでいったい何度目のおねだりだろうか。いつもなら死んでも言わないような言葉を紡いでくれる行が、愛おしくて仕方がない。
 不安なのか、すがりたいのか、忘れたいのか。
 あの行が、ただの性欲や快楽だけで、ここまで乱れるはずもなかった。

 だから仙石は口付けを重ねる。行のおねだりに応えて、何度も、何度も、甘い蜜を行の喉に注ぎ込む。
 そうしていつか、行の不安も溶けてしまえば良い。そう願いながら……。

               おわり


ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_ _)m

もう一つの方も読んで下さった方は分かるでしょうが、
同じネタを扱っているのに、カラーが違いすぎ。
片方は能天気ないちゃラブ話で、
こちらはシリアスな微イチャ話ですね。

(1)がすでに書いてあったのに出していなくて、
それをすっかり忘れて(2)を書いたのですが、
どうもこんな感じのネタ、以前に書いたな?と思いだし、
探してみたら、(1)が見つかったという訳です。

本当なら、どちらかをボツにする所でしょうが、
あまりにも内容が違いすぎるので比べられず。
どうせなら両方出しちゃえ、ということに。

(1)はかなり昔に書いたものだと思いますが、
改めて両方を読み返してみると、
(1)の方がきれいにまとまって読みやすいような?
つまり上達してないってことですね(苦笑)。

2010.07.18

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