『 甘 露 』(1)
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── ファーストキスはレモンの味。 そんな話を聞いたことはあるけれど、あり得ないと思っていた。 そもそもキスの味というのが良く分からない。自分の唇や口の中を舌で舐めてみても何の味もしないのだから、相手が誰であっても同じことだろう。 せいぜい相手が直前に食べていたものの味がするくらいが関の山ではないだろうか。 ずっとそう思ってきたから、キスという行為には何の夢もロマンも抱いていなかった。キスを挨拶代わりにする国もあるくらいだから、変に特別視する方がおかしいではないか。 如月行は、自分からキスをしたいとも思わずに成長してきたし、キスのことなど考える余裕なんて無い人生を送ってきた。 20歳を過ぎてもファーストキスもまだ、なんて言うと呆れられるかもしれないが、それで何ら不都合を感じていなかったのである。 だから、初めて仙石にキスを求められた時も、期待も不安も何もなかった。恋人同士になったのだから、そのくらいはするだろうという程度で。 しかし仙石は「キスして良いか…?」などと、わざわざ尋ねてくるし、それに同意した行がじっと目を閉じて待ち受けていても、なかなか行為が始まらない。 やるならさっさとやれ、と焦れったくなった行が目を開けた瞬間、仙石に猛然と唇を奪われた。最初のキスなのだから、軽くついばんで行の反応を見る、などという余裕は、どうやら全く無かったらしい。 ……な、何だよこれ、ちょっと待て……っ! 内心であたふたする行のことなどお構いなしに、仙石は容赦なく行の歯列を割って熱い舌を差し込んで来る。そのままサラリと口内を撫でられただけで、行は全身をふるわせた。 「……んん……ふ……っ」 唇からは抑えきれない甘い吐息がこぼれ、頭の中は真っ白で何も考えられなくなる。ただ仙石から与えられる刺激を受け止めるだけで精一杯だった。 これはレモンの味どころではない。 たとえるなら、グラグラと煮えたぎるキムチ鍋に顔ごと突っ込んでいるようなものだ。あまりにも強烈で、気が遠くなりそうだ。 ……あの時は嫌悪感しか無かったのに……。 行は、≪いそかぜ≫でキスらしき行為をした時のことを、ぼんやりと思い出していた。 あの時は、絡みつく舌や唾液も、柔らかすぎる唇の感触も、何もかもが耐えがたく、これがキスというのなら、自分は今後一切キスなんてしないだろうと思ったほどだった。 それなのに……。 仙石とのキスは、目眩がするような不安と共に、今までに味わったことのない悦びをもたらしてくれた。雲泥の違いだ。 しかし、この違いがどこから来るのか、ということくらいは、行にでも分かる。あの時と今とでは、行の相手に対する想いが違う。自分が好きだと思う相手とのキスは、こんなにも甘美なものだったのか、と初めて知った。 厚ぼったい仙石の舌に応えるように、行もおずおずと自分の舌を伸ばす。たどたどしく絡め合っていると、とろりとした唾液が口内に流れ込んでくる。行はためらいもなく、それを飲み込んだ。 ……美味しい、と思った。甘いような気がする、とすら。 もっと欲しくて、行がねだるように舌を動かすと、仙石はすぐに応じて、ますます激しく深く唇を合わせてくる。 「ふ……っ、ぁあ……」 やがて二人の唇が離れると、切ない喘ぎと共に、行の唇の端からしずくが流れていった。それはどちらのものか分からなかったが、もったいなくて、行はそれを指ですくって舐め取る。 もう甘いかどうかも感じられなかったけれど。 その仕草を目にした仙石は、困ったように目を細めた。そして低くつぶやく。 「あんまり煽ってくれるなよ。……止まらなくなるじゃねえか」 それを行が聞いていたなら、その後に何が訪れるかも考えずに、反射的に言ったかもしれない。『止めなくて良いよ』と。 だからおそらく、行にとっては聞こえなくて幸いだったのだろう。すでにキスだけでいっぱいいっぱいだというのに、その先まで続けられたら、きっと許容量が足りなかっただろうから。 それを仙石も薄々感じ取っていたのか、行の身体を優しく抱きしめると、そっと髪を撫でるだけで、もう何もしなかった。 行はキスが終わってしまったことに、何となく物足りなく思いながらも、目を閉じて仙石のぬくもりをじっと味わうのだった……。 おわり |
ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_ _)m 行たんの『初めてのチュウ』でした。 今回、同じタイトルで(1)と(2)がある事情は、 (2)の方で説明したので、こちらには書きません(笑)。 この話はかなり昔に書いたのですが、 書いてから時間が経っているせいか、 自分が書いた物というよりは、 普通に読者として楽しめました。 行たん可愛いよ、行たん(笑)。 原作のキスシーンの描写で、 行がちょっとでも嬉しそうにしていたら、 私はもしかしたら仙行をやっていなかったかも。 あのシーンはもう本当に決定的でしたねぇ。 女嫌いとかいう次元じゃないよな、あれは。 おそらくは他人と肌や粘膜が接触すること自体に 相当の拒否感があったんだろうけど、 仙石さんがそれを癒してくれたんだね。 行は仙石さんに出会えて良かったよ。 腐目線じゃなくても、本当にそう思います。 2010.07.18 |