【えせほし─似非星─ 】 kyo-ko

『 天つ風 』


「行、花見に行くぞ!」
 仙石の誘いはいつも唐突だ。しかも半強制的である。
「嫌だ」
 行は即答した。
 寝起きで頭が働いていない時に、いきなりそんなことを言われても、簡単に受け容れることは出来ないし、分かりました、と素直に言える性格でもない。

 すると仙石は深い溜め息を落とす。
「お前なぁ、断るにしても、もうちょっと悩め。そして少しは申し訳無さそうな顔をしろ」
 朝の挨拶もなく、開口一番『花見!』と叫ぶ仙石に、あれこれと偉そうなことを言われたくないというのが行の本音だ。
「どうせ断るなら、どう言っても同じだろ」

「いいや、そうじゃねえよ。人間ってのは、ちょっとしたことで印象が変わるもんだ。対人関係ではな、そういった心配りが一番大切なんだよ。いつも俺が相手だから、許してもらっているんだぞ」
 どうやら先任伍長お説教モードに突入したらしい。
 親子ほども歳が離れているせいなのか、仙石は時折こうして説教を始めることが多かった。おそらく行を立派な大人にしてやらなくては、という使命感に燃えているのだろう。


 仙石の好意から来るものだと分かっているから、本当は行も素直に受け容れなくては、と思っている。
 耳に心地良い言葉ばかりを並べて、心の中では何を考えているのか分からない人間よりも、憎まれ役を買ってでも苦言を呈してくれる仙石の方に好感が持てるし、ありがたいとも思うけれど。
 こうして頭ごなしに、あれこれと言われると、かえって反発してしまう意地っ張りでヘソ曲がりの行なのだった。

「もう良いよ。とにかく花見は行かない。どこも人が多くて落ち着かないから」
「分かってねえなぁ、お前は。桜が咲いたぞー!って、あれだけの人が集まって、喜んで浮かれて楽しんでいるのを見るのが良いんじゃねえか。それだけで幸せな気分になるってもんだ」
 仙石の言うことは分からないでもない。
 木にピンク色の花が咲いただけで、こんなに盛り上がれる幸せな民族は日本人くらいではなかろうか。それだけ平和な証拠だとも言える。
 その中に自分も混じって、幸福感を味わえば良いのだろうけれど。

 天気が良くて、桜が咲いて、皆が楽しそうにしている平和な光景だからこそ、そんな所に自分が入って良いのか、という気持ちにさせられるのだ。
 彼らと同じような幸福を享受する権利は、自分には無いのだと。
 そういう気持ちになるのが分かっていて、わざわざそんな場所にのこのこと出掛けるほど、行は酔狂ではない。
 けれど、仙石の幸福を邪魔する権利も、自分には無かった。


「それなら、あんたは行って来ればいいよ。それで土産話でも聞かせてくれたら、オレは満足だから」
 かすかに笑みすら浮かべて応えた行を、仙石はどう思ったのか。
 ちょっと困ったような、どこか呆れたようなまなざしで、行の髪をくしゃくしゃと掻き回した。
「ったく。俺一人で行っても、楽しめる訳ねえだろうが」
 そう言って、仙石は靴を脱ぎ始めるから、もう行く気はなくなったらしい。自分の家のようにドカドカと上がり込む仙石の背中を、行は戸惑いと共に見つめる。

 行が未だに理解出来ないのはこういう時だ。
 そんなに行きたかったら、一人でも行って来れば良いと思うのに。自分のことなど構わずに。
 それが仙石の優しさなのだとしても、行きたいのを我慢して、無理をする必要など無いではないか。
 逆に言えば、その程度であきらめられることならば、最初から誘わなければ良い。でなければ、行が居ようと居まいと、絶対に自分一人でも行くだろう。

 だが、仙石のことを行が理解出来ないように、行のこういう考え方は、仙石には理解出来ないだろうから、あえて口には出さないけれど。
「やっぱり人間って難しいな……」
 玄関先で一人残された行は、ぽつりとつぶやいた。
 仙石のことは誰よりも大切に思っていても、彼自身を本当に理解するのは難しかった。もしかしたら永遠に理解出来ないのではないかとすら思う。
 そして、おそらく仙石も自分のことを理解出来はしないのだろうけれど、それでも一緒にいてくれる限りは、傍に居たかった。ほんのわずかの間でも。


 行がそっと溜め息を吐いた所へ、仙石の大きな声が響いてくる。
「おーい、行。こっち来てみろ」
 行は慌てて仙石の方に向かった。ここでのんびりしていたら、また怒られるに決まっているのだ。
「何、仙石さん」
 行がそこへたどり着くと、仙石はリビングの窓をコツコツと叩いて、外を指差す。
「桜、咲いてるぞ」

「え?」
 仙石に言われたとおりに、窓の外を見てみると、確かにそこには小さな桜の木があり、可愛らしい花を咲かせていた。
「桜の木があるのは知ってたからな。そろそろ咲いているんじゃないかと思ったよ」
「良く知っているな、そんなこと」
 ここに住んでいる行ですら知らないことを、たまにやって来るだけの仙石がどうして知っているのか不思議だった。

 すると仙石はこともなげに笑う。
「お前、こっちの窓は見ないもんなぁ」
 行は黙ってうなずいた。
 行の自宅の周囲には塀が無いけれど、うっそうとした木々に囲まれていて、外からは中が見通せないようになっている。前の道路からも少し奥に入った所にあるので、近所ではここに家があることすら知らないものも居るだろう。
 それでも二階のアトリエには木々が掛かっていないから、館山の美しい海を見ることが出来て閉塞感はない。行が隠れ住むにはちょうど良かった。


 けれど、それでも監視が全く無い訳ではないのだ。
 あんな何もない裏山にずっと身を潜めているのは大変だから、おそらく固定カメラが設置されているくらいだろうとは思っていたが、他人の存在や視線を感じることに変わりはない。
 なるべくそちらの方は見ないようにしていたから、桜が咲いていることに気付くはずも無かった。
『そっちは監視があるから』などと正直に言ったら、仙石の気分を害するだけなので口には出さないが。

「たまにはこっちの窓も見てやれよ。ほら、きれいだぞ」
「うん、そうだね」
 仙石の隣に寄り添うように並びながら、行は素直に応える。
 先刻の話ではないが、一年に一度、桜が咲いた時くらいは、わずらわしいことは何もかも忘れて、ただ花を観賞するのも良いかもしれない。

「手を伸ばしたら、届きそうだよな」
 仙石はそう言うと、おもむろに窓を開け放った。本当に桜に手を伸ばそうとしたのではなく、きっと少しでも近付きたかったのだろう。
 するとその瞬間、一陣の風が巻き起こり、きゃしゃな桜の木を荒々しく揺らした。それだけで枝が折れてしまいそうなほどに。
 それと同時に、強い風とほこりが家の中にも入ってきて、目を開けていられなくなる。行は慌てて顔を隠した。

「うわ、すげえ風だな」
 仙石もまた急いで窓を閉めると、苦笑を浮かべた。
「花見は部屋の中でのんびりやれってことらしいな」
「うん、それが良いよ」
 行が小さく微笑み返すと、何故か仙石の笑顔がぱあっと明るいものになる。


「何?」
 いぶかしげにする行に、仙石はニヤニヤと笑った。
「お前の髪に、桜の花びらがついているんだよ。髪飾りみたいで可愛いぞ」
「何言ってんだ、バカ」
 女の子じゃあるまいし、花びらを頭につけて可愛いなんて言われても、嬉しくも何ともない。行は慌てて自分の髪に手を伸ばした。
 そこをすかさず仙石の大きな手のひらで、行の手首が繋ぎ止められてしまう。

「風情があるじゃねえか。良いから、もうちょっとだけ、そのままにしとけよ。こっちの花見もオツなもんだ」
 そう言って、仙石に舐め回すように見つめられ、行は落ち着いていられなくなった。こんな風に真っ直ぐな視線を向けられるのは、やはり慣れない。
 もちろん仙石の腕くらい、その気になれば、すぐに外せるが、何となく行はそこまではしたくなかった。
 花見の誘いを断ってしまった負い目があるのかもしれないし、全く別の理由があるのかもしれないけれど。

「……分かった。取らないから、手離せ」
「おう」
 行の言葉をそのまま信じたらしく、仙石はあっさりと手を離した。そうなると、行も約束を守らない訳にはいかなくなる。
 仕方がないので、行はつかつかと歩いてソファに座った。動作が少々荒っぽくなったのは、歩いているうちに花が落ちても構わないという心の現われだろう。

 だが残念ながら、花びらは残っていたようで、同じように向かい側のソファに腰を下ろした仙石は、こちらを見つめて相変わらずのニヤニヤ笑いだ。
 それがちょっとシャクに障ったものの、今日くらいは許してやろう、と大人しく仙石に観賞される行なのだった……。



               おわり


ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_ _)m

お題にしては長くなった割には、
ラブイチャが少なくてスミマセン。
説明的な描写が多すぎたかな……。

行の家の裏庭には桜の木があるというネタは、
どこかで書いたような気がするのですが、
思い出せないので、結局書いてしまいました。
ついでにタイトルともあまり合ってないような。

最近は冬の話をずっと書いていたので、
もうちょっと冬のネタをやろうと思いましたが、
すっかり温かくなっちゃって、思い浮かびません。
いつも季節に関係ない話を書いていたのになぁ。
という訳で、春の話になりました。単純です。

そういえば、『チュウなお題』の場合は、
ラストをキスで締める、という縛りがあったはずだけど、
それもいつの間にかうやむやになっちゃってます。
もうさっぱりチュウと関係ないよ。すまん。
なんか、謝ってばっかりですな……。

2010.03.17

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