『碧の手紙』
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「君に手紙だ」 いつものように一分の隙もなく洗練されたスーツに身を包んだ本部長は、引き出しから一枚のハガキを取り出して、行に手渡した。 「……手紙、ですか?」 行は首をかしげながら、そのハガキを見つめると、かなり色褪せてはいるものの、美しい碧い海の写真が目に飛び込んでくる。 差出人は、と見れば。 そこには確かに『如月 行』の三文字があった。 「え?オレ……?」 そして宛先ももちろん『如月 行』になっている。住所は祖父や父と住んでいた白浜の家だ。つまり自分で自分に出したということだろう。 そういえば……、と行は思い出す。 中学生の頃、社会科見学か何かで、どこかのテーマパークに行き、『10年後の自分』に手紙を書くように言われたのだ。 その時は馬鹿馬鹿しいとしか思えなかった。10年後どころか、今日を生きるのに精一杯で、明日のことすら見えなかった行にとっては、将来には何の夢も希望も描けなかったから。 それでも教師に言われて仕方がなく出したのだろう。何も書かれていない美しい碧い海の絵ハガキを。 いや、そうじゃない。 あの時、自分は何かを絵ハガキに書いた気がする。いったい何を書いたのか、どうしても思い出すことは出来なかったが、確かに書いた。 しかし、通常文面が書かれるはずの宛名の下のスペースには、何も書かれてはいない。行はもどかしい思いでハガキをめくると、碧い海に目を凝らす。 そして、……見つけた。 年月が経って文字が掠れてしまったのか、それとも最初から弱々しい筆致だったのか、まるで海の中に溶けてしまいそうな小さな文字で、10年前の自分からのメッセージは、しっかりとそこに刻まれていた。 「渡すかどうか、迷ったんだがね」 おもむろに本部長が口を開く。 「あの家にそのまま置いておいても、ポストの中で朽ち果てるだけだろう。それよりは、君が読むべきだと思った。他の誰でもない、今の君がね」 本部長の言葉は、かつての行の白浜の家にすら、未だに郵便物の検閲が行われていることを示しているに他ならなかったが、今更そんなことを気にするような行ではないし、そもそも本部長の話など、全く耳に入っていなかった。 絵ハガキに書かれていたのは、たった一言。 ──ずっと絵を描いていたい── それはまるで祈りの言葉のようだった。 10年前の自分が望んでいたことは、ただそれだけで、それすら自分は満足に果たしてやれなくて、今ここにいる。 それでも……。 「願いは……、叶ったな」 本部長の言葉に、行は顔を上げた。そして力強く応える。 「はい」 行は微笑みを浮かべた。 そのつもりだったが、何故か頬を冷たい雫が伝っていた。この人の前で、そんな無様な姿を見せてはいけないと思いながらも、止めることは出来なかった。 本部長は静かに微笑んでいる。 行は碧い手紙を握りしめながら、いつまでも、いつまでも立ちつくしているのだった……。 おわり |
ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_
_)m
すみません。これ、全然「仙行」じゃないですね…。 一応「仙行」前提でして、この後に行が、 こういうことだったんだよと仙石さんに説明する場面を 入れるつもりだったんですけど、蛇足な気がして止めました。 想像で補ってやってください(苦笑)。 しかもこのお題シリーズではラストにチュウをする、という 私なりの約束事もあったんですが、それも果たせず。 でもこれはこれで気に入っているので、出しちゃいますけどね。 もしかしたら、このお題で別の話を書くかもしれません。 もちろん仙行バージョンで(笑)。 2006.06.21 |