『逢初』
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「つまりあれは、俗に言う『ひとめぼれ』って奴だったんだろうな……」 自分の想いを伝えた仙石は、今度は行に尋ねる。 「で、お前はどうだったよ?」 「何が?」 「俺を最初に見た時にどう思った?」 内心ではかなりドキドキしながら聞いていたのだが、行の応えは簡潔だ。 「変なオッサン」 「おい」 恨めしそうな目で見つめても、行の表情は欠片ほども揺るがない。まぎれもなくそれが真実だからなのだろう。如月行は言葉を飾ることも、偽ることもしないのだから。 「だってしょうがないだろ。あんたはやけにオレのことを気にしている風だったし、それに何もかも見透かしたような目でオレを見るし。疑われたくなかったから警戒していたけど、そのくらいだ」 「……そうか」 仙石はますます力無くうなだれた。 それでもそんな仙石の様子には全く気にせず、行はちょうど良い言葉を探して考えているようだった。と、ふいに嬉しそうな顔になる。 「邪魔くさいというか、うっとうしいというか。えーっと…、あっ、ウザい、ってヤツ。それだな」 「……そうですか」 あまり流行り言葉を使わない行が、明るく笑ってズバッと言ってのけたものだから、仙石のショックは大きい。思わず敬語になってしまうほどだ。 「でも…」 そんな仙石を哀れに思った訳でもないだろうが、ふいに行の口調が柔らかくなった。 「でも……、その時のオレにとっては、あんたはただの『先任伍長』でしかなかった。『仙石恒史』として見ていた訳じゃない」 「それじゃ、『仙石恒史』と初めて会った時は…?」 仙石は恐る恐る尋ねてみる。 と、行はどこか遠くを見るまなざしになった。 「あの時……、後部甲板で絵に向かい合っていたあんたを見た時に、オレはあんたを一人の人間として認識したんだと思う。あんたの描く海の絵と、あんたの背中を見た時に」 仙石は黙ってうなずいた。行の言葉は続く。 「それから何度かあの場所であんたと会って話をして。あんたは何かを忘れたり、紛らわしたりするために絵を描いているって言っていたけど、オレにはやっぱりあんたは絵と真剣に向かい合っているように見えた。戦っているように見えた。それがすごく羨ましかったんだ」 「羨ましい…?」 仙石は意外な言葉に驚く。仙石が行の才能を羨ましく思ったことはいくらでもあるが、まさかその逆があるとは思いもよらなかった。 「……オレは、絵を捨てていたから」 「ああ……」 淡々と告げられる言葉の中に含まれた重さに、仙石は言葉を失う。いまは絵を取り戻した行がどれほどに真剣に、夢中になって絵を描いているか知っているだけに、それを失うことの喪失感は想像も付かなかった。 「それじゃお前、俺を恨んだんじゃねえのか?」 仙石はふと思いついて尋ねる。 「恨む……?」 「ああ。お前は描きたくても描けないのに、俺みたいな何の才能もない奴が、目の前でのうのうとだらしない絵を描いていたら、怒ったり恨んだりしても当然だろ」 「何故だ? あんたが絵を描くことと、オレが絵を描くことには何の関係もないだろう。あんたを恨んでも、オレが絵を取り戻せる訳じゃないんだから」 行は不思議そうに首をかしげる。 「そりゃそうだけどな。人間の心ってのは、そんな風に割り切れるもんじゃ……」 仙石は言いかけて、口をつぐんだ。 人間は理性よりも感情が優先するイキモノだ。頭では理解していても、その通りに感情は動いてくれない。それが当たり前だと仙石は思っているけれど、行はそうではないのだろう。感情すら理性で完璧に制御する、それが当たり前の生活だったに違いない。 「割り切っちまうんだな、お前は……」 仙石は小さな吐息をつく。 行は、自分にとって掛け替えのない大切なものを、目の前の人間が持っていたとしても、それを欲しがるでもなく、奪うでもなく。あれは自分の物ではないのだから、と、ひたすらあきらめるだけの日々を送ってきたのだとしたら。 自分は知らないうちに、行にどれほど残酷な仕打ちをしていたのだろう、と思う。 絵を描いてみろ、と言ったこともあった。あの時、絵筆を取った行の想いを想像することは仙石には出来ない。 焦がれてやまないものを手にしながら、またそれを切り捨てなくてはならなかった行の想いなど、想像しようとしても出来るものではなかった。 「……ごめんな」 いつしか詫びの言葉が口を突いていた。 しかし、いきなり謝られた行はきょとんとしている。行にはきっと分からないだろう。それでも良かった。ただ自分のために謝りたかっただけだ。 すると、行はふいに小さく微笑んだ。 「あんたの絵を見た時に、オレは逃れることの出来ない運命のようなものを感じた。やはり絵はこんなところでもオレに付きまとう。忘れることも、失うことも、きっと出来はしないだろう、と思った……」 仙石はただ黙って行の言葉の続きを待つ。 「……でも、その運命の使者が、あんた以外の人だったら、オレは再び自分の絵を取り戻せたかどうか分からない。だからオレは、あんたに感謝しているんだ」 「え……?」 「ありがとう、仙石さん」 もう一度、行は微笑んだ。 「バカ野郎、何言ってやがる。こっちは謝ってんのによ、それに礼を言う奴なんてあるか。ったく、お前って奴はそれだから……」 喉が詰まりそうになるのを堪えるように、仙石は話し続ける。それでも胸の奥から次々にあふれてくる想いにふさがれて、やはり声は出なくなった。 「……ホント、お前はバカだ。……バカで…、どうしようも……」 「ああ、そうだな」 行は笑っている。静かに、包みこむように。 仙石は耐え切れなくなって、行から目を逸らした。すると行はまるで嫌がらせでもするかのように、顔を覗き込んで来る。 そして、仙石の頬に軽く口付けを落とした。 「しょっぱいな」 「そんなもん、舐めるからだろ」 「あんたの味がする……、ような気がする」 「何言ってやがる」 いたずらっぽく笑う行につられるように、仙石も笑みを浮かべた。 それから、二人はお互いの唇を味わうことにするのだった……。 おわり |
ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_
_)m
「お題」『あなたにひとめぼれ』の、 続きのような、そうでないような(苦笑)。 まぁ、お題については それほど関連性を持たせてはいません。 あんまり縛りが多くなると、 自由が利かなくなるからね。 でも前回出した「ひとめぼれ」があんまり甘くなかったので、 今回は甘くするぞ!と思って書き始めた筈が…、 どうしてこんなシリアスに?(苦笑)。 甘い話ってどうやって書くんだっけ?(爆)。 とりあえず、仙石さんと行が甲板で出会った例のシーンは、 いつか描きたいと思っていたので良かったですけど。 それにまだ他の解釈もあると思っているので、 違うアプローチで同じ場面を描くことも あるかもしれないです。 ワンパターンで、すみません(笑)。 2006.01.23 |