【えせほし─似非星─ 】 kyo-ko

『約束をしよう、それはとてもはかないものかもしれないけど』


「……んぁ」
 仙石はふと目を覚ました。
 感覚的に、それほど長く眠っていないような気がするが、いったい何時だろうかと傍らの時計を手に取ると、まだ夜中の3時だった。起きるには早すぎる。
 そこで仙石は、再び惰眠を貪ることに決めて、ついでに寝顔でも見てやろう、とそちらに目を向けたが、何故か行の姿はそこには無かった。

「行……?」
 仙石は不思議に思う。確かに昨夜は共に眠りに就いたはずだった。二人で楽しい時間を過ごした後、この腕の中にしっかりと抱きしめていたはずなのに。
 にわかに仙石は不安になった。
 気にしすぎだとは思う。仙石のようにふと目を覚まして、トイレに行っているのかもしれない。昨夜は行為の後にすぐ眠ってしまったから、シャワーを浴びているのかもしれない。分かってみれば他愛も無いこと。


 そう自分に言い聞かせてみても、どうにも落ち着かなくて、仙石はとうとうベッドから起き上がった。とりあえず下着とズボンだけを身に付けて、部屋の外に出る。
 と、あっけないほどに、行はすぐ目の前にいた。リビングのソファに腰を下ろして、パソコンの画面を食い入るように見つめている。
「何やってんだ?」
「な、何でもない……っ」

 明らかに何かを隠している様子で、行は慌ててノートパソコンの画面をパタンと閉じた。仙石はパソコンには疎いので良く分からないが、あんな風にいきなり閉じてしまって大丈夫なのだろうかと、ちょっと心配になる。
 だが、仙石が何かを言う前に、珍しく行の方から声を掛けてきた。
「あんたこそ、こんな時間にどうした。トイレか?」
「ん? ああ、まぁそんなもんだ。昨夜、呑みすぎちまったかな」
 そう言われると、本当にもよおしてくるのは条件反射なのだろうか。仙石は苦笑を浮かべながら、トイレに向かった。

 もうすっかり自分の家のように馴染んでいるから、何も考えなくても、足は勝手に廊下を進んで、トイレに辿り着く。出すものを出して、すっきりしてしまうと、今度は先刻の行の様子が気になった。
 リビングに戻ると、やはり行はどこか落ち着かないそぶりで、こちらを見つめている。パソコンも閉じられたままなのは、仙石がすぐに戻ってくると分かっていたからだろう。
 そこで仙石は不意をつくように尋ねた。

「それ、大丈夫なのか?」
「……何が?」
「パソコンだよ。いきなり閉じちまって、平気なのか?」
「ああ、問題ないよ。落とした訳じゃないから」
「ふーん」
 いくらパソコンに疎い仙石でも、スイッチを切ることを落とすと言うのは知っているけれど、それ以上のことは分からないので、あいまいにうなずくしかなかった。


 だが、もちろんこれで済ませるつもりは無い。
 いつものように、狭いソファに無理やり割り込むように座ると、隣の行の肩をがしっと引き寄せる。
「で、何やってた」
「何でもないったら」
「何でもないなら言えるだろ。隠すってことは、やましい所があるからじゃねえのか?」
 仙石に重ねて問われた行は言葉に詰まる。そこですかさず追い討ちをかけてやった。

「さては、ヤラしい写真でも見てたんだろ。気にすんなって。お前も若い男だから、そういうのに興味があっても当然なんだからな」
「ち……、違っ」
 仙石の言葉に、行は目に見えて慌てた。にわかに頬が赤くなっているのが微笑ましい。本当に行がそんなものを見ていたとは思っていないけれど。
「じゃあ、何なんだ?」
 仙石は不敵に笑う。

 行は敗北を悟ったのか、小さく溜め息を落とすと、パソコンを開けて、何やらボタンを押した。
 すると、暗かった画面がすぐに明るくなり、行が何を見ていたのかも分かった。
「……写真か?」
 行はこくりとうなずく。
 もちろん女性の裸などではなく、仙石も見覚えのある美しい風景だった。神秘的な深い森の中に悠然とそびえる大樹の存在感は、見るものをただ圧倒させる。


「屋久島だな」
 行はまたうなずいた。
「お前、こういうのが好きなのか?」
 仙石は少し不思議に思う。
 行は空や海の絵は描くが、こういった樹木や植物の絵はあまり描かないからだ。行の絵をすべて見たことがある訳ではないけれど、ほとんど無いと言って良いだろう。

 すると行はもう一度うなずいて、静かに口を開いた。
「この樹は、オレが想像も付かないような年月を生きてきて、この先もオレが死んでも、ずっとそこに在り続けるんだろうと思うと、オレの存在なんてちっぽけなものだなって感じるんだ。
 一人で家の中にずっとこもって絵を描いていると、自分が世界の全てみたいに思えてしまうから、時々こうやってリセットするんだよ」
「そうか……」
 仙石もその気持ちは良く分かった。自分もまた護衛艦という狭い世界と、無辺に広がる大海原と、その両方に翻弄されるように、ずっと生きてきたから。

「……いつか実物を見てみたいって思ってるんだ」
 しんみりとつぶやいた行の横顔はひどく寂しげだった。それは決して叶わぬ望みだ、とでもいうかのように。
「見に行けば良いじゃねえか。何なら一緒に行くか?」
 何気なく尋ねた仙石に、行の表情は硬くこわばる。そして即答した。
「無理だ」
「どうしてだ? まぁ確かに海外ってんなら、ちょっと無理かもしれねえけどよ。国内旅行くらい構わねえだろ。あいつに一言断っておけば良いじゃねえか」
 あいつとはもちろん渥美である。行が定期的に渥美と連絡を取っていることも知っている。電話でもすれば良いだけのことだ。


 しかし、行の表情は冴えない。
「今はまだ監視員が付いている。そんな状態で行きたくはないんだ」
「でもよ、いつかは監視も解けるんだろ?」
「……多分」
 あいまいな表現を嫌う行にしては、珍しく歯切れが悪い。
 この問題に関しては、行自身ではどうにもならないことだからだろうか。実際、行の措置は組織内としても特例なのだろうし、過去の例も同じようなことは無いのかもしれなかった。
 仙石は、行の属していた組織のことは全く分からない。自分で判断が付かない以上は、いい加減な慰めを言ってはならないだろう。

 だがそれでも、今日明日のことではないとしても、5年後10年後には、おそらく行も解放されているのではないかと思う。希望的観測ではなく。
 そこで仙石は、行の髪をくしゃりと掻き回す。
「それじゃ、約束しようぜ」
「約束……?」
「ああ、そうだ。いつか監視が解けて、お前が自由になったら。俺と一緒に屋久島に行くってな」
「でも……」

 行の表情は不安なままだ。仙石は殊更に明るい笑みを浮かべる。
「いつになっても良いんだよ。何年後でも構やしねえんだ。その時が来たら、二人でのんびりと南の島に旅行するってのも悪くねえだろ?」
 仙石の言葉に、行はおずおずとうなずく。そして、ほんの少しだけ微笑んだ。これは行にとっては最上級の笑みだということを、もちろん仙石は知っている。
「……ありがとう、仙石さん」
「良いってことよ」


 仙石はもう一度、行の髪を掻き回すと、ふと思い付いて尋ねた。
「お前、そんなに好きなら、絵に描けば良いじゃねえか。どうして描かないんだ?」
 すると行は、驚いたように目を見開いて、すぐに苦笑を浮かべる。
「オレは生きているものを描くのは苦手なんだよ」
「なるほどな」
 言われてみれば、行が動物や人間を描いたのを見たことは無い。唯一の例外を除いては。

「なるほど、なるほど」
 思わずにやけてしまったのが伝わったのか、行はうっすら頬を染めた。
「別に、深い意味はないからな」
「俺は何も言ってねえぞ?」
「うるさい、バカ!」
 例によって例のごとく、みぞおちにパンチを一発食らわされて、行のキツイ愛情表現に顔をしかめる仙石なのだった……。



               おわり


ここまで読んで下さってありがとうございましたm(_ _)m

前回と全く同じ冒頭になってしまいました。
何の意識もなく書いたら、そうなっちゃったんですね。
ふと目を覚ます、というシチュエーションが好きなのです。
とはいえ、書きすぎですけども(苦笑)。

行の監視は5年で解けると書いてあった気がしますし、
おそらくそのことを行も知っているとは思いますが、
それを行は無邪気に信じてはいないだろうなぁ、と。

完全に監視員の存在が無くなってみて、
ようやく自分が解放されたんだと分かるんじゃないかな。
その日までは、ちょっと長いですけどね。
それでも仙石さんと一緒なら、あっという間かも。

行が生き物を描かないというのはマイ設定なので、
あまり深く突っ込まないで下さい。
自分のSSでも花とか描いちゃっている気もするし(苦笑)。
でも人物画は仙石さんだけです。

ちなみに屋久島なのは、特に意味はないです。
行って、あまり南の島って感じがしないから、
それが意外で面白いかと思って書いてみました。
いつか仙石さんと新婚旅行に行くと良いですよ(笑)。

2009.12.23

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